近江の城めぐり
第56回 大森城東近江市
大森城跡の主郭部分
(東近江市大森町)
信長助けた布施氏の城?
大森城は、旧八日市市(東近江市)の南に延びる布引山丘陵の標高約230mの山頂部に築かれた山城です。
城の規模は東西約90m、南北約108mで、郭を囲む土塁と、櫓が建っていたと思われる台場が土塁上に設けられています。大きく上下2段の郭で構成されており、上段部分に主郭があったと考えられます。一方、下段の郭には2カ所の虎口が見られます。また、上段と下段の郭を馬の背状の土塁でつないで通路としており、上段部への入り口が食い違い虎口となっています。
築城時期は不明ですが、食い違い虎口のような発達した遺構が見られることから、16世紀後半ではないかと考えられます。城主は、江戸前期に成立した、彦根藩領内の古城主名を記した「大洞弁天当国古城主名札」に「上大森村城主 布施藤九郎」と記されており、六角氏の家臣の布施氏が城主であった可能性があります。
布施藤九郎公保は1570(元亀元)年、織田信長が浅井長政の裏切りにあい、越前から京を経て美濃へ退却する際、美濃へのルートを確保した人物の一人です。藤九郎の父の布施淡路守公雄は1560(永禄3)年の六角承禎条書案に「宿老」として名を連ねていることから、布施氏は信長上洛に前後して信長に従ったものと考えられます。
記録にもほとんど現れず、歴史上目立った舞台としても登場しない大森城ですが、地元の方々が県の補助を得て2009年に里山整備事業を実施し、うっそうと茂っていた樹木が伐採され、案内看板が立てられて見学ルートが整備され、遺構の姿を目の当たりにすることができるようになりました。その後も継続して城跡の維持管理を実施しながら、地元主催で見学会を行うなど城跡の活用に努めています。有名な城郭ではありませんが、地元の方々の努力によって地域の宝としてよみがえった城跡です。
(滋賀県文化財保護課 松下浩)