近江の城めぐり

第55回 水口城甲賀市

水口城資料館として整備された水口城の櫓や堀、橋
(甲賀市水口町本丸)(写真は(公社)びわこビジターズビューロー)

小堀遠州が造営担う

甲賀市の北西部に位置する水口は、近世に東海道の宿場町として栄えました。その水口宿の西寄り、現在は水口高校のグラウンドとなっている敷地に、1634(寛永11)年、3代将軍徳川家光の上洛に際して、その宿泊所として水口城が築かれました。

水口城の造営には、作事奉行として小堀遠州(本名は政一まさかず)が、作事は幕府京都大工頭である中井家があたりました。小堀遠州は、現在の長浜市小堀町の出身で、茶人として有名ですが、茶室の建設や作庭にも優れた才能を発揮したと言われています。また、中井家は幕末まで京都大工頭として近畿圏の大工をとりしきった家柄であり、伏見城や二条城などの築城を手がけました。このように、水口城の作事には当時の最高の技術者があたったことがわかります。

この水口城本丸の様子は、中井家に伝わる「水口御城御指図」によって知ることができます。本丸内部には将軍家の宿泊に備えた種々の建物が、二条城に準じて配置されていました。屋根はいずれも杮葺こけらぶきで、将軍の居間である御殿ごてんや庭に面した2階建ての亭は、茶室のデザインを取り込んだ数寄すきを凝らしたものでした。しかし、家光以降は将軍の上洛がなくなり、建物が老朽化したため、正徳年間(1711~1716)にやぐらなどを残して本丸の建物は撤去されてしまいます。

現在、本丸跡には約120m四方の区画とその東側に張出部が残っており、県史跡に指定されています。張出部には、明治の廃城後に城外に移築されたいぬい櫓の部材を再利用して、1991年に二重櫓が建設され水口城資料館として活用されています。また、城跡近くの水口町松栄にある蓮華寺れんげじでは、本堂横にある書院の唐破風からはふ屋根をもつ玄関部分が、正徳年間に本丸から移築されたと伝わります。

将軍の宿泊のため、当時の最高の技術と材料で建てられた本丸の建物は、移築や部材の再利用という形で、現在も生き続けているのです。

(滋賀県文化財保護課 長谷川聡子)