近江の城めぐり

第53回 膳所城大津市

膳所城の門を移築した膳所神社の表門
(大津市膳所1丁目)

琵琶湖に浮かぶ威容

膳所城は、大津市本丸町周辺、現在の近江大橋西詰の南に位置します。関ケ原の合戦で勝利を得た徳川家康が、湖上交通や陸上交通の要衝であった大津・瀬田一帯を掌握すべく、藤堂高虎に命じて1601(慶長6)年に築かせました。

城の構えは、琵琶湖に突き出た膳所崎に城を設け、陸地側に堀を巡らせた水城みずじろで、石垣上に建つ白壁の天守や塀、やぐらが湖上に浮かぶ、美しい浮城であったと伝わります。戸田氏、本多氏、菅沼氏、石川氏と城主が変わった後、1651(慶安4)年から譜代大名である本多氏6万石の居城となり、明治維新で廃城となるまで長く威容を誇りました。

膳所城の城跡は、1662(寛文2)年5月の高島を中心とする大地震で天守が傾き、石垣が崩壊し、その結果本丸と二の丸が一つに埋め立てられ、さらには近代に湖周道路の建設や近江大橋の架橋などにより堀が埋め立てられ、水城であった当時の面影はほとんど見られません。しかし、城内にあった建造物のうち数棟は移築されて現存し、往時をしのぶことができます。

重要文化財の膳所神社表門(大津市膳所1丁目)はその一つで、本丸と二の丸との間に建っていたとの伝承があります。建物に残された墨書から1655(明暦元)年に建築されたことがわかり、1870(明治3)年の膳所城廃城直後に膳所神社に移築されました。門の形式は薬医やくい門で、3本の太い柱の上部を冠木かぶきと呼ぶ太い横材でつなぎ、各柱の間に大扉おおとびらと脇扉を設けています。建物を構成する各部材が木太い大柄な門で、柱や冠木は帯鉄おびてつ鋲釘びょうくぎで止め、城門にふさわしい厳しく堂々した建築です。

膳所神社表門以外にも、膳所城から移築された城門に鞭崎むちさき神社表門(草津市矢橋町)、篠津しのづ神社表門(大津市中庄1丁目)があります。いずれも城門の威容を持つ堂々とした建築で、重要文化財に指定されています。

他に膳所城から移築された建造物には、櫓(大津市秋葉台の芭蕉会館)などがありますが、いずれも水城として広く知られた膳所城の雄姿を今日に伝える、数少ない貴重な遺構となっています。

(滋賀県文化財保護課 菅原和之)