近江の城めぐり

第50回 彦根城の表御殿彦根市

彦根城の着見台から見下ろした彦根城博物館。さまざまな棟で構成され、表御殿の姿をしのばせている
(彦根市金亀町)

江戸初期に山下へ移築

彦根城には天守をはじめとした江戸時代の建物が数棟現存していますが、今回は、失われた建物の発掘調査に注目してみましょう。

彦根城の表門近くに日本建築風の建物があります。これは、彦根城表御殿おもてごてんの跡地に、幕末から明治にかけての様子を復元するかたちで建てられた彦根城博物館です。博物館建設に先立って1983年に行われた発掘調査では、幾度にもわたる御殿の建て替えの跡が見つかり、残された絵図と対比させることで、彦根城表御殿の姿が具体的になりました。

一般的に城の御殿は、表向おもてむきと呼ばれる藩政の庁舎と、奥向おくむきと呼ばれる藩主の私的な居住空間から構成されていますが、彦根城表御殿も表向と奥向に分かれています。

表向には玄関棟、御広間おんひろま棟、御書院ごしょいん棟、笹之間ささのま棟、表御座之間おもてござのま棟、台所棟、能舞台といったものがあり、将軍上洛や上使じょうしとの謁見えっけんなどの公的な来客の接待や藩主と家臣との対面儀式、藩主の政務などに使われました。奥向は御殿向ごてんむき棟、御広敷おひろしき棟、長局ながつぼね棟からなり、内部には庭園が設けられていました。また、御広敷棟には御賄詰所おんまかないつめしょがあり、表向とは別に奥向の料理が作られていたこともわかっています。

なお、彦根城の御殿は、最初からこの場所にあったわけではありません。平山城ひらやまじろである彦根城の御殿は、1604(慶長9)年にまず本丸よりも一段下に位置したかねまるに仮御殿として建てられ、1606(慶長11)年に本丸天守の隣に移されました。大坂の陣を経た1622(元和8)年には山の麓にある表門の内側へと移ります。元和偃武げんなえんぶと呼ばれる天下泰平の到来によって、軍事的緊張のもとで建てられた山の上の御殿は必要がなくなり、山の下に移されたと考えられています。

現代によみがえった彦根城表御殿は、表向部分が博物館として江戸時代の大名文化や彦根の城下町を実感できる展示を行う一方、奥向の御座之間、庭園、能舞台などが当時の姿に復元されており、彦根城の魅力の一つになっています。

(滋賀県文化財保護課 畑中英二)