近江の城めぐり

第47回 八幡山城の秀次館・北之庄城近江八幡市

大きな石を積み上げて築かれた秀次館跡の石垣
(近江八幡市宮内町)

豊臣政権の権力を体現

八幡山はちまんやま城は、近江八幡の市街地の北西にそびえる八幡山の山上に築かれました。この城は山上に残るくるわ群に注目が行きがちですが、それ以外にも遺構が多数残存しています。

八幡山の南斜面のうち、山頂から南方へ延びる2本の尾根に挟まれた谷部には、大手道とされる直線状に延びる通路が設けられており、その両側には階段状に短冊形の郭が配置され、谷の奥の部分に城主羽柴秀次ひでつぐの館とされる規模の大きな郭が造営されています。これらの郭は石垣を積んで造営されていますが、秀次やかたの石垣は特に大きな石を用いて積み上げられています。

秀次館は近江八幡市により発掘調査が実施され、多数の礎石などの建物遺構が検出されました。敷地の西側にある礎石群が主要な建物跡と思われ、建物の構造は不明ですが西側に縁が付く書院造しょいんづくりの建物ではないかと想定されています。

さらに、この秀次館からは金箔きんぱく瓦を含む大量の瓦が出土しました。中には秀次の馬印であった沢瀉おもだかを装飾に用いた金箔瓦もありました。金箔瓦は凸面に金を施しており、聚楽第や大坂城で羽柴秀吉が採用したものと同種のものです。このことからも、八幡山城は豊臣政権の権力を具体的に形で現した城郭であったといえるでしょう。

また、山頂から北へ延びる尾根には規模の大きな堀切ほりきりがあり、それより北側には遺構が確認されていないことから、八幡山城の北限と考えられます。

この八幡山城の北限からさらに延びる尾根上に、北之庄きたのしょう城が存在します。築城時期などは不明ですが、八幡山城に先行する佐々木六角氏に関わる城と考えられます。城は上下2段の郭で構成されており、遺構として土塁や堀切のほか、下段郭に中世には珍しい枡形虎口ますがたこぐちがあります。

八幡山から北之庄城にかけては、尾根上を南北に縦走できるハイキングコースが設けられています。案内標識や城の説明版も整備され、二つの城郭を巡って散策しやすくなっています。

(滋賀県文化財保護課 上垣幸徳)