近江の城めぐり
第44回 玄蕃尾城長浜市
玄蕃尾城跡の土橋と馬出
(長浜市余呉町柳ケ瀬)
賤ケ岳の戦いで本陣に
玄蕃尾城は滋賀県の最北部、福井県との県境に位置します。柳ケ瀬山の山頂近く、標高約450mと、かなり高所に築かれていました。福井県側から峠近くまで自動車で登れる林道もありますが、山城の魅力を体感するためには長浜市余呉町柳ケ瀬の集落から約1時間半の道のりを、徒歩で登ってみましょう。
織田信長が本能寺の変で討たれた翌年の1583(天正11)年4月、羽柴秀吉と柴田勝家が湖北地方で激突しました。この賤ケ岳の戦いで、勝家が本陣を構えたのが、この城です。正確な築城年代は分かりませんが、越前国北ノ庄城主となった勝家が、近江と越前を結ぶ北国街道を西から見下ろす交通の要衝に築かせた城と考えられています。
秀吉軍本隊が美濃国へ向かった隙をついて進撃した勝家軍の先鋒、佐久間盛政隊は、余呉湖畔の賤ケ岳砦付近で秀吉軍の逆襲に遭い、勝家軍は総崩れとなって敗走します。城の名前は、この佐久間玄蕃盛政の名に由来するとされています。この戦い以後、城は使用されずに廃城になったようです。
城跡は地元の方々によって草刈りが行われ、城の構造をよく観察することができます。主郭を中心に、南北方向の尾根上に巧みに連結された六つの郭と、東西の張出郭、腰郭が良好に残され、南側に大手口、北側に搦手口が設けられています。
石垣はありませんが、各郭が機能分化して空堀と土塁が発達し、また主郭の北東角には天守台とみられる高まりを設けるなど、織豊系山城の築城技術の最高水準を示す城と言われ、近世城郭への移行期の指標的な遺跡として、1999年7月13日付で国の史跡に指定されました。
(滋賀県文化財保護課 田井中洋介)