近江の城めぐり

第42回 坂本城大津市

坂本城から移築された聖衆来迎寺の表門
(大津市比叡辻)

城門、聖衆来迎寺に移築

坂本城は大津市阪本の琵琶湖畔に位置しています。1571(元亀2)年に明智光秀が築城に着手、1573(天正元)年には天守が建立され、翌年にはほぼ城全体が完成しています。しかし1582(天正10)年の本能寺の変で焼失、その後丹羽長秀にわながひでにより再建されますが、1586(天正14)年に廃城となりました。

ところで、この坂本城の城門が移築されたと伝えられるのが大津市比叡辻に所在する聖衆来迎寺しょうじゅらいこうじの表門です。滋賀県指定有形文化財の表門は、切妻造きりづまづくり本瓦葺ほんかわらぶき薬医門やくいもんで、東を向いて建っています。

2009年から2011年の解体修理に伴い、学術調査を実施した結果、部材の痕跡から、この門が坂本城から移築されたこと、さらに移築に当たって坂本城に建立された櫓門やぐらもん(2階建ての城門)の2階部分を取り除き、1階部分の上に本瓦葺の屋根を載せたことがほぼ確実となりました。

聖衆来迎寺は坂本城の北方約1.5キロに位置する天台宗寺院です。790(延暦9)年に伝教大師最澄が開基した地蔵教院じぞうきょういんが起源とされ、その後、1001(長保3)年に、延暦寺の恵心僧都えしんそうづ源信げんしん紫雲しうんに乗じた弥陀聖衆みだしょうじゅ来迎らいごうを感得して寺号を「紫雲山しうんざん聖衆来迎寺」と定めたと伝えられています。

表門は、城が完成する頃に坂本城に建立され、廃城となった頃に聖衆来迎寺に移築されたと考えられます。移築の際に、城を防備する目的を持った大きな櫓門から、衆生しゅじょうを迎え入れる寺門にふさわしい形式の門に改造されたのが今日に伝わる姿です。

大きく姿を変えた表門ですが、城門であったことをしのばせる箇所があります。正面右端の低い脇扉わきとびらは、高さが98センチほどしかなく、腰を低くかがめなければ通ることができません。これは城門としての防備を意識したためと考えられます。

戦乱の時代に建立され、時に人を厳しく拒んだ坂本城の城門は、廃城ののちに聖衆来迎寺へ移築され、仏の教えを求める人々を分け隔てなく迎える門として、新たな命を吹き込まれることとなったのです。

(滋賀県文化財保護課 菅原和之)