近江の城めぐり

第39回 安土城ゆかりの建物近江八幡市・東近江市

県指定文化財の超光寺表門。もとは摠見寺そうけんじの裏門だった
(東近江市南須田町)

堂塔を各地から移築

安土城は、1582(天正10)年6月14日から15日にかけて炎上し、廃城となったため、現在、礎石や石垣などの遺構しか残されていません。しかし、城内に信長が建てた摠見寺そうけんじは焼失を免れ、その後は信長の菩提寺として存続しました。

宣教師ルイス・フロイスの記述によると、摠見寺は信長が自らを神として万人から礼拝されることを希望して建てたとも言われ、種々の記録から、1581(天正9)年には存在したことがうかがえます。信長の死後は豊臣家や徳川家から保護され、信長の菩提を弔うとともに、信長びょうと安土城跡を守ってきました。

摠見寺は、主郭から南西に伸びる尾根上に位置し、本堂と三重塔、鐘楼や鎮守社、拝殿や二王におう門、表門、裏門が建ち並ぶ、壮大な伽藍がらんであったと考えられています。

しかし1854(嘉永7)年の火災で本堂をはじめ多くの建物が焼失し、1879(明治12)年には裏門が移築され、現在は三重塔と二王門だけが残されています。これらは重要文化財に指定されています。

三重塔は柱の墨書から1454(享徳3)年の建立で、湖南市の長寿寺ちょうじゅじ三重塔跡と規模が合致することから、もとは長寿寺に建てられていたものと考えられています。総高20mの三重塔は、各重の屋根を支える中備なかぞなえ蟇股かえるまたで飾り、伝統的な意匠の中にもはなやかさを感じさせます。

二王門は1571(元亀2)年の棟木の墨書があり、甲賀市の柏木神社の古文書に門が摠見寺に移築されたとの記述が見られます。2階建ての門(楼門)で、脇間に安置された金剛力士像は、室町期の優作です。また裏門(四脚しきゃく門)は現在、東近江市南須田町の超光寺に移築され表門となっており、県指定有形文化財です。垂木たるき控柱ひかえばしらなどに中世的技法がみられることから、摠見寺創建の頃の建物と考えられます。

三重塔と二王門は、ともに安土築城以前の建立であり、築城に際して安土に移築されました。信長は安土城と摠見寺のために、各地からこれはという堂塔建築を集めたのかも知れません。

(滋賀県文化財保護課 寺西正裕)