近江の城めぐり

第38回 安土城の厩近江八幡市・東近江市

伝前田利家邸跡の復元図㊤と遺構図㊥。礎石の位置は「三間厩の図」㊦と一致していた
※滋賀県文化財保護課編「安土 信長の城と城下町」より

立派な建物で馬を世話

今年はうま年(※新聞連載は2014(平成26)年、午年でした)ですので、安土城の馬に関わるお話を紹介します。

1581(天正9)年2月28日、信長は京都の内裏だいり東に8町(872m)の馬場を作り、「馬揃うまぞろえ」という軍事パレードを催します。さらに3月5日には宮中の要望により、馬揃えの中の名馬500頭を再び見せています。天皇や公家に自らの軍事力を見せつける目的で馬揃えを行ったとも言われています。

さて、この名馬たち、城内の屋敷の中ではどこで飼われていたのでしょうか。

ルイス・フロイスが「日本史」の中で安土城内の馬小屋について、次のような興味深い記述をしています。「上手のほうに彼の娯楽用の馬の小屋があるが、そこには5、6頭の馬がいるだけであった。それはうまやであるとはいえ、きわめて清潔で、立派な構造であり、馬を休息させるところと言うよりは、むしろ身分の高い人たちの娯楽用の広間に類似していた。同所で世話をする4、5名の若者たちは、絹をまとい、金鞘の太刀を帯びていた」

1991年、滋賀県教育委員会は、安土城跡の伝前田利家邸跡の3段からなる郭を発掘調査した結果、最下段で検出した建物跡を厩の遺構であると発表しました。建物は柱が乗る礎石しか残っていませんが、礎石の配置が江戸時代初期に書かれた「匠明しょうみょう」という古い時代の建物などの平面図を記した書物の中にある「三間厩之図さんげんうまやのず」に一致したのです。

内部は「立場たちば」という馬がつながれる場所、「くさ」という通路を兼ねる空間があり、この2か所は板の間です。「草の間」の隣は畳敷きで床の間が付く「遠侍とおざむらい」と言われる部屋で、フロイスが広間と思ったのは「遠侍」だったと見られます。当時は馬の糞尿ふんにょうしゃくで世話人が受けていたと言われていますので、いかに清潔に、また大事に馬を飼育していたかが分かると思います。

(滋賀県文化財保護課 仲川靖)