近江の城めぐり

第33回 虎御前山城・横山城長浜市

虎御前山の織田信長の陣所跡。山頂に碑が建てられている
(長浜市中野町)

小谷城攻略の前線基地

1570(元亀元)年6月、姉川の戦いに勝利した織田信長は、小谷山の南に位置する横山城を奪い取り、木下秀吉を城番じょうばんとします。その後も毎年、小谷攻めを繰り返しますが、その時攻撃の拠点としたのが横山城です。

横山城は、米原市と長浜市の境界に位置する標高312mの横山丘陵に築かれました。城は、横山丘陵の最高所から三方に伸びる尾根上に広がり、大きく北城と南城の二つに分かれています。現存する遺構としては、北城の西端に二重堀切が見られる他、南城の主郭をめぐる土塁や虎口こぐちなどが残っています。

また、横山丘陵最北端には滋賀県最古の前方後円墳の一つである茶臼山ちゃうすやま古墳があります。ここは姉川の戦いの時には織田信長が陣を置いたたつ鼻砦はなとりでとなりました。

横山城よりさらに北、小谷山の目と鼻の先に位置するのが虎御前山とらごぜやまです。1572(元亀3)年7月27日、信長はここを城砦じょうさいとするよう普請を命じました。近江南部の一向一揆を鎮圧した信長が、いよいよ浅井氏攻略に本腰を入れ始めたのです。その後、8月9日頃に城は完成しました。

虎御前山は標高220m。南北に長く延びる山で、尾根上に連続して砦が築かれています。南から順に、滝川一益たきがわかずます堀秀政ほりひでまさ、最高所に織田信長、最北端に羽柴秀吉の陣所跡があったとされています。城から見える範囲の景観はすばらしく、南は琵琶湖を越えてはるか比叡山から唐崎・石山寺まで見渡せたと「信長公記」には記されています。

虎御前山城を築いたことで、信長軍の前線基地は小谷城の目の前に迫りました。この後、信長は虎御前山城を拠点として小谷城の攻略を進めます。そして1573(天正元)年8月、小谷城は信長軍の総攻撃を受け、9月1日、浅井長政が自刃じじんして小谷城攻防戦は終わりを告げました。

(滋賀県文化財保護課 松下浩)