近江の城めぐり

第32回 瓶割山城近江八幡市・東近江市

瓶割山城跡に残る石垣

柴田勝家の故事伝承

湖東平野を通過していく東山道とうざんどう沿いには、六角氏に関連した複数の城郭が築かれています。このうち、瓶割山かめわりやまにある瓶割山城は、敵対した織田氏とも深い関係がある城郭です。

この山と城の名は、1570(元亀3)年に、城に陣取った織田家の家臣、柴田勝家が六角氏の攻勢を受け、城の中の水瓶を割って士気を鼓舞し、城を出て戦いに勝利を収めたという故事に由来しています。勝家はこの後、「瓶割柴田」の異名をとったと言われています。ただし、同年に勝家がこの城へ布陣した記録はあるものの戦いが起こった記録がないため、この話は伝承とされています。

瓶割山城は山全体が城郭として使用されたらしく、詳しい構造は判明していませんが、山頂部にある本丸と呼ばれる最大規模のくるわを中心に大小多くの郭が残存しています。特に、南西に伸びる尾根上には堀切ほりきりによって区画された本丸に次ぐ大規模な郭が2カ所構築されています。本丸と「二ノ丸」と呼ばれる郭の間は土橋どばしで連絡されています。

また、郭の各所には竪堀たてぼりや石垣も複数配置されています。本丸南西部に位置する最も大規模な石垣は高さが約6mもあります。城内の石垣は埋もれている部分が多く、実際にはもっと存在しているものと考えられます。

瓶割山城は15世紀後半ごろに築かれたと考えられます。ただ、もともとの六角氏時代の遺構や寺院に関連した遺構も残っている可能性はあるものの、現在の遺構の大部分は柴田勝家の布陣によるものと考えられます。

城跡では、2008、2009年度に里山整備と遺跡整備が実施され、見学しやすくなっています。なお、山と城の名称は「長光寺山」「瓶割山」の両方が用いられていますが、今回は行政上用いられる名称としました。

(滋賀県文化財保護課 上垣幸徳)