近江の城めぐり
第22回 小谷城(下)長浜市
小谷城跡の赤尾屋敷跡。浅井長政自刃の地と伝わる
(長浜市湖北町)
浅井氏3代、最期の地
1568(永禄11)年、織田信長は室町幕府第15代将軍となる足利義昭を奉じて上洛を果たします。小谷城主の浅井氏の3代長政は信長の妹、お市を妻として信長と同盟し、勢力を伸張しますが、信長が越前朝倉氏を攻めると、突如として反旗を翻します。
「信長公記」によれば、このとき信長は「浅井は歴然御縁者、虚説たるべき(浅井は身内なので、<反旗を翻したというのは>嘘に違いない)」と思い、にわかには信じなかったと記しています。浅井氏はこうして信長と戦い、姉川で敗れます(姉川合戦)。その後も朝倉氏とともに京都にまで進出しますが(志賀の陣)、連携する武田信玄の死去などもあって、次第に追い詰められていきます。
1573(天正元)年8月12日、小谷山北側の焼尾砦を守備する浅見対馬守が寝返ると、信長はその夜の激しい風雨のなか、自ら山頂の大嶽に攻め上り、そこを守備する朝倉氏の軍勢を追い払い、そのまま越前に追撃して朝倉氏を攻め滅ぼします。
8月26日、信長が越前から小谷に帰還すると、翌日夜、羽柴秀吉は小谷山南側の清水谷から京極丸に攻め上り、長政の父久政を自害させます。ついで、信長自身が京極丸に入り、大広間東側の赤尾屋敷に長政を追い詰めて自害させました。9月1日のことです。
ここに小谷城は落城し、戦国大名浅井氏は3代50年で滅亡の時を迎えましたが、お市とその娘の3姉妹は救出され、長女茶々は豊臣秀吉の妻、三女江は徳川秀忠の妻として浅井氏の血脈を天下人に伝えました。
2011年度の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の放映当時、小谷城跡には多くの観光客が訪れ、そのおもてなしに語り部ガイドが活躍されました。この地域には1924(大正13)年以来活動を続ける小谷城址保勝会の伝統があり、2013(平成25)年8月には会のメンバーの子弟が通う長浜市立小谷小学校児童の語り部が誕生し、話題となりました。小谷城跡は、将来にわたって地域の宝として守られ、活かされ続けていくことでしょう。
(滋賀県文化財保護課 北村圭弘)
小谷城についての展示や資料は・・・
- 小谷城戦国歴史資料館(https://www.eonet.ne.jp/~odanijou-s/)
- 浅井歴史民俗資料館(https://www.city.nagahama.lg.jp/section/azairekimin/)