近江の城めぐり

第17回 三田村氏館長浜市

三田村氏館の虎口跡(手前)と伝正寺
(長浜市三田町)

国人、浅井氏に従い活躍

1560(永禄3)年、肥田ひだ城(彦根市)をめぐる六角氏との戦いに勝利した浅井氏は、北近江に勢力を持つ戦国大名として自立し、北近江の各地に領地を持つ国人こくじんを家臣として従えていきます。国人たちは自らの領地に館を構えていましたので、長浜平野には彼らの館の跡が現在もいくつか残されています。その中には北近江城館跡群じょうかんあとぐんとして国の史跡に指定されているものがあり、三田村氏館もその一つです。

三田村氏館は、長浜平野を流れる姉川と草野川に挟まれた三田町の集落内にあります。集落のほぼ中心にある伝正寺でんしょうじの境内に周囲を囲む土塁がの残存しており、ここが館の主郭と考えられています。伝正寺の北側にも土塁や堀跡と思われる水路があり、館は土塁で囲まれた複数の郭で構成されていたものと推定されます。

主郭は高さが約2.5~3.5mある土塁に囲まれた、一辺約60mのほぼ正方形の平面地です。ただし、北辺の土塁は削られて一部しか残っていません。西辺には現在、境内への入口となっている開口部分があり、かつての虎口こぐちだったと考えられています。

館跡内部には当時の建物などは残っていませんが、長浜市教育委員会が実施した発掘調査では排水のための溝が掘られていたことが判明しています。また、土塁は13~14世紀代と15~16世紀代の2時期に土を積み上げられたことも発掘調査で判明しました。

この館を本拠地とした三田村氏は、元々京極氏の家臣でしたが、後に浅井氏に従い活躍しています。館は姉川古戦場後に近く、合戦の際には浅井氏の援軍として遠征した朝倉景健かげたけが陣を置いたとも言われています。その後、三田村氏は小谷城攻防戦で浅井氏と共に戦い滅亡し、館もその際に廃されたとされています。

(滋賀県文化財保護課 上垣幸徳)