近江の城めぐり

第12回 清水山城高島市

清水山城の主郭跡
(高島市新旭町)

湖西第一の規模を誇る

清水山城は、高島市新旭町の熊野本に位置し、約1キロ四方の範囲で遺構が残る湖西第一の規模を誇る山城です。佐々木信綱の二男、佐々木高信が1235(嘉禎元)年に築いたとされていますが、1467~1469(応仁年間)年に、山中にもともとあった山岳寺院の清水寺を利用して小規模な城郭が造られ、1558~1570(永禄年間)年に大改修されたとみられます。

高信の嫡流は後に高島(越中)氏を名乗り清水山城の城主となります。一族は、さらに田中氏と朽木氏、横山氏と永田氏に分家し、沙沙貴山君ささきやまぎみ系の山崎(能登)氏とあわせて「高島七頭」と称され、安曇川流域の要衝を統治していきます。

織田信長の侵攻後、城は廃城となりますが、城跡の麓にある高島市新旭町安井川の大荒比古おおあらひこ神社と熊野本の佐々木神社では、佐々木氏にゆかりのある祭礼が今日まで脈々と受け継がれて行われています。

大荒比古神社の祭りは「七川祭しちかわまつり」と言われ、特に「奴振やっこぶり」は、滋賀県選択無形民俗文化財選定されています。佐々木高信が出陣の際に必ず大荒比古神社に武運を祈願し、戦勝の時に12頭の流鏑馬やぶさめと12基の的を献納したのが始まりとされています。

佐々木神社の祭礼は「竹馬祭」と言われ、織田信長との戦いで清水山城から男が出たため、残った女性や子どもが竹馬に乗ってぐるぐると回ることによって、城に兵が残っていると見せかけたことに由来するということです。

城跡は2004年に国の史跡として指定され、2009年に「清水山城楽クラブ」という保全と活用を目的に活動する団体が生まれました。除草やハイキング、秋には「イクササイズ」という戦体験などの催しを行っています。佐々木氏にちなむ祭りが地元で継承され、NPOにより上手に活用されている城跡です。

(滋賀県文化財保護課 仲川靖)