近江の城めぐり

第11回 三雲城湖南市

三雲城跡に残る枡形虎口の石垣
(湖南市吉永)

六角氏没落後にも改修

JR草津線で甲西駅から三雲駅に向かう右側の車窓からみると、山の中腹に大きな岩が現れてきます。地元では「八丈岩」と呼んでいます。磐座いわくらとしてまつられていますが、そこに戦国時代に三雲氏によって築かれた山城・三雲城がありました。

三雲氏は、もともとは関東御家人でしたが、近江に居つき、近江守護六角氏の重臣として活躍しました。そのことを示すように、岩には六角氏の家紋「隅立て四つ目」が刻印されています。

この城には、1568(永禄11)年に織田信長が観音寺城を攻めたときに六角義賢よしかた義治よしはるの親子が逃れてきたという記録があり、そのあとに落城したようです。

城の構造は、基本的には中世の山城ですが、枡形虎口ますがたこぐちや外郭ラインの一部に大きな石で積まれた高い石垣が築かれています。この部分は、後に織豊系城郭の影響を受けて改築されたと考えられています。六角氏の没落後、三雲成持しげもちは織田信雄のぶかつ、蒲生氏郷に仕えたことから、この時に改修されたと想起されるところです。

虎口の内側には、御殿が建ちそうな大きなくるわがあり、石組みの深い井戸もあります。城の立地はすばらしく、麓の街道や野洲川を行き交う人々の往来を監視することができます。城の規模は小さいのですが、隠れた名城として有名です。

城跡見学には甲西駅から東海道を三重県の方角に向かい、間歩まぶとして有名な大砂川トンネルの手前にある公園の角に三雲城の大きな看板があるので、それに従って登っていきます。地元では「吉永の里山と文化財を守る会」が中心となり維持管理されており、見学しやすくなっています。探訪やウオーキングなども開催されており、地元の歴史と文化を語る貴重な文化財として保存活用が図られています。

(滋賀県文化財保護課 木戸雅寿)