近江の城めぐり

第10回 星ケ崎城竜王町

西光寺遺跡に建つ重要文化財の石造宝篋印塔。星ケ崎城と城との関連も考えられる。
(竜王町鏡)

山頂から東山道見通す

東山道(中山道の前身)沿線には、前回紹介した野洲市の小堤城山こづつみしろやま城以外にも多数の城郭が構築されました。竜王町の鏡山の北東端、星ケ峰の頂上にあるほしさき城もその一つです。城からは、東山道の宿場であった鏡の町並みを見下ろせます。

また、東近江市の清水鼻から草津市の草津宿付近まで街道の沿線を見通せ、北方に琵琶湖と中世の港があった田中江・江頭(近江八幡市)の集落、南方は横関(竜王町)から石部・三雲(湖南市)方面へ通じる道が遠望できます。観音寺城、長光寺城、水茎岡山城(以上近江八幡市)、野寺城(竜王町)などの周辺の城郭も望めることから、築城目的は交通の要衝の掌握、城郭間の連絡確保と推定されます。

城の主郭は東西20m、南北35mの長方形で、虎口こぐちが南面中央部に設けられています。周囲に鏡山で採れる花こう岩で積まれて石垣が巡りますが、南面に高さ1~2mほど残っている以外はほとんど破壊されています。主郭の南北には小さなくるわが張り出していますが、これらには石垣が使われていません。ただし、内部の状況や正確な縄張りは発掘などの詳細な調査が行われておらず、よく分かっていません。

城の立地や石垣を主郭のみに用いる特徴が東近江市の佐生さそう城とよく似ており、鏡付近を本拠地とし、六角氏に従ったかがみ氏の居城とも言い伝えられていることから、星ケ崎城も佐生城と同様に、六角氏に関連した城郭である可能性が高いと考えられています。また、星ケ峰西麓に西光寺跡と伝えられる複数の平坦地が階段状に広がる中世の遺跡があり、山頂の城跡はかつて存在した山岳寺院との関連性も考えられます。

星ケ崎城がある鏡山付近一帯では文化財と里山の保全、活用を目的とした竜王町による森林整備が行われ、重要文化財の鏡神社本殿や石造宝篋印塔せきぞうほうきょういんとう、石燈籠などの周辺文化財も合わせて見学しやすくなっています。

(滋賀県文化財保護課 上垣幸徳)