近江の城めぐり

第9回 小堤城山城野洲市

石垣が多用されていた小堤城山城の遺構
(野洲市小堤)

永原氏、大規模に整備

神の宿る山として知られる三上山。その北東に連なる小さな峰々の一つ、標高286mの城山の山頂に小堤城山こづつみしろやま城は位置します。16世紀に野洲郡一帯を支配し、近江守護六角氏のもとで軍事・行政の中枢を担った永原氏が築城した山城で、平地に構えた上永原城(野洲市永原)と対になるものと考えられます。

記録にはほとんど現れませんが、野洲・栗太郡に分布する山城のなかでは大規模な城郭です。内部構造からみて単なるとりでではなく居住性を備えていたことがうかがえ、安土城より以前に築城された山城のなかにあって、石垣を多用しているなど、みどころの多い城郭です。

小堤城山城は山頂部、中腹の屋敷跡、山麓の登城ルートの三つの部分に分かれます。山頂部は、山頂のくるわを中心に東西の尾根に郭を設ける砦らしい配置になっており、最初にこの部分が砦として築かれたとみられます。中腹部の屋敷跡は上段と下段に分かれており、それぞれ四角い敷地に入口をしっかり構えています。下段の郭は城内最大の面積を持つことなどから、ここが主郭であり、砦を築いた後から造られた部分と考えられます。

山麓から屋敷跡へ至る登城ルートは、谷底を通りながらも両脇に小さな郭を配して敵の侵入に備えています。石垣は城内各所に見られますが、登城ルート沿いにはとくに大型の石を用いており、防御を固める目的の他に威儀を示す効果もうかがえます。

小堤城山城の琵琶湖側に主要街道である東山道が通っていますが、街道周囲は開けた平野となっています。このため、東山道に対するよりも、野洲から甲賀方面へ抜ける間道に対する押さえの城と思われます。六角氏は、居城である観音寺城を攻められると常に甲賀へ退避しましたが、退避の際、敵に追われることがないようにする戦略的な意図があって造られたのかもしれません。

(滋賀県文化財保護課 伊庭功)