近江の城めぐり
第5回 目加田城愛荘町
土塁が残る目加田城跡。土塁の右側に舟入があった。
(愛荘町目加田)
安土から退去後に改修?
愛荘町目加田地区の公民館横には、土塁に囲まれた方形単郭の城館跡があります。佐々木六角氏に代々仕えてきた目賀田氏の城です。堀の一部が舟入になっており、傍を流れる岩倉川につながり、宇曽川を経て琵琶湖まで船で出られる水運を活用した城であることが発掘調査で分かりました。
この
この話は、明智光秀の伝記「明智軍記」と、秀吉に仕えていた前野氏の家伝史料「前野家文書」に出てきますが、どちらも
貞政は1563(永禄6)年の観音寺騒動の後、浅井長政に従い、1568(永禄11)年の織田信長の近江侵攻の時には、信長の配下となっていました。43代目の摂津守
廃城から390年たった1987年、目賀田氏の功績や目加田城の文化財としての価値を子々孫々受け継いでもらおうと、全国の「めかた・めがた・めかだ」姓の方が集まり、「全国目加田会」が設立されました。地元の方と一緒に会報の発行や研究会などを開催しており、今では全国のめかたさんたちと地元を結ぶ絆の城となっています。
(滋賀県文化財保護課 仲川靖)