近江の城めぐり

第67回 大津城大津市

びわ湖浜大津駅から琵琶湖側に建つ「大津城跡」の石碑

「関ケ原」の命運変える

大津城は、豊臣秀吉により、1586(天正14)年に、現在の京阪びわ湖浜大津駅付近に築かれました。1571(元亀2)年、織田信長は京へのルート(山中越え)を押さえ、延暦寺と門前町の坂本を掌握することを目的に坂本城(大津市下阪本)を築きましたが、秀吉はこれを廃し、大津城を築きました。京へのルートとして逢坂越えを重視するようになったからといわれていますが、近江に残る織田色を払しょくすることも目的の一つと考えられます。

その後、大津城は浅野長吉たち秀吉子飼いの武将が城主となり、1595(文禄4)年に京極高次きょうごくたかつぐが八幡山城(近江八幡市宮内町など)から移ります。

そして、1600(慶長5)年の関ケ原の戦いのとき、その前哨戦が行われます。城主の京極高次は最初、石田三成の西軍にくみしますが、関ケ原に向かう途中で西軍を離れて大津城に引き返します。突然の高次の裏切りに対し、西軍は立花宗茂たちばなむねしげら1万5千の軍勢で大津城を攻撃します。

9月7日から始まった猛攻に大津城は1週間持ちこたえますが、9月15日朝、ついに開城・降伏します。しかし関ケ原の戦い当日まで城攻めが続いたため、立花宗茂たちは関ケ原の戦いに参加することができませんでした。

その後、大津城へは徳川家康の配下の戸田一西かずあきが入りますが、翌1601(慶長6)年、膳所城が築かれ、大津城は廃城となりました。大津城の建物は膳所城や彦根城に移されたといわれており、特に天守は彦根城の天守に建てかえられたことが記録に残されています。

現在、城の遺構を目にすることはできませんが、川口公園(大津市浜大津3丁目)がかつての中堀なかぼりと推定されています。また、京阪浜大津駅周辺で行われた発掘調査では石垣や礎石建物などの遺構が検出され、金箔きんぱく瓦が発見されました。

びわ湖浜大津駅近くに建つ「大津城跡」の石碑を前に、日本の歴史を大きく変えた激戦の舞台に思いをはせてみてはどうでしょうか。

滋賀県に残る城跡は、地域の歴史を物語る大切な歴史遺産です。この連載では、約70の城跡をご紹介しましたが、県内にはまだまだ多くの城跡が残されています。身近に残された城跡をめぐる隠された物語をぜひ発見してください。

(滋賀県文化財保護課 松下浩)