近江の城めぐり

第61回 関津城大津市

発掘調査で遺構が確認された関津城跡の遠景。北側には瀬田川が流れる
(大津市関津3丁目)

宇野氏、物資の拠点統治

琵琶湖から流れ出す唯一の川である瀬田川の東岸、笹間ケ岳の西麓に地元で源太郎山と呼ばれる丘陵があります。ここに「宇野城」とも呼ばれる関津せきのつ城がありました。1985年の測量調査で郭跡や土塁が確認され、2009~2010年の国道422号大石東バイパス道路改築計画に伴う発掘調査で、戦国期の城郭では全国で初めて、上部構造まで具体的にわかる土蔵が発見されました。さらに、高さ2.5m、基底部が幅4~7mの土塁に囲まれた約10m四方の主郭も発見されました。

関津城は、約800年前の1221(承久3)年、承久の乱で宇野源太郎守治もりはるが戦功を立て、恩賞として関津の地を幕府から与えられたことに始まります。関津の近隣集落である大石龍門の八幡神社には1540(天文9)年の棟札むなふだに「田上たなかみ関津宇野美濃入道」の銘が記されており、宇野氏が大石まで統治していたことがわかります。

さて、滋賀県には「津」のつく地名が多くあります。「津」とは、種々の物資が集散する所という意味で、海津や大津といった港の「水津」のほかに、草津のように街道が交わり物資が集まった内陸部の「陸津」として名付けられた所もあります。その「津」の地名が付く所で滋賀県最南端にあるのが関津です。地名の由来は大石の関があったこと、瀬田川の関津浜から材木や薪炭しんたん、茶が船積みされ、曳き船で瀬田方面に運送されていたことによります。宇野氏はこれら物資の搬入の重要拠点を押さえていたのです。

関津より下流は、おだやかな瀬田川の流れが急流に一変し、弘法大師が白鹿の背に乗って対岸の光る霊木まで跳んだといわれる鹿跳ししとび渓谷となります。大師が立木のまま観音像を彫り上げた立木たちき観音や、天皇の厄災を祓い平安京の守護を祈願した七瀬ななせの祓いどころのひとつである佐久奈度さくなど神社があります。パワースポットあふれる関津・大石へぜひとも訪れてください。

(滋賀県文化財保護課 仲川靖)