近江の城めぐり

第52回 彦根城の天守彦根市

彦根城天守。1階の屋根に二つの切妻破風、2階の屋根に唐破風、2階と3階に花頭窓がある。

独創的な造形と技術誇る

彦根城の天守は、犬山城、姫路城、松本城、松江城とならぶ国宝の天守です。その最大の特徴は、外観にあります。

三重三階の建物に、入母屋破風いりもやはふ切妻きりづま破風、軒唐のきから破風など様々な種類の破風が複雑な屋根を構成しています。さらに、2階、3階の四面には花頭窓かとうまどが配され、3階には高欄こうらんが巡らされています。このほか、棟には鯱瓦しゃちがわらをのせて一層の華やかさを演出しており、こうした華麗な姿は、他に例を見ないものです。

ところで、この天守の建築がいつ始まり、いつ終わったかは明らかではありませんでした。「井伊年譜」に、1606(慶長11)年に大工棟梁の浜野喜兵衛はまのきへえの手により大津城の天守を移したと記述されているだけでした。

ところが、1960年の解体修理中に、隅木すみぎから墨書が発見され、慶長11年の5月下旬に2階が、6月初旬に3階が組みあがったことがわかったのです。後につづく工事の期間を考慮しても同年中には天守工事が完了したと考えられます。彦根城の築城開始は1603(慶長8)年または1604(同9)年といわれており、工事の進捗を考えると、およそ2~3年で完成したことになります。

この時の調査は、天守の各部材が3種類に分けられることも明らかにしました。一つ目は、各階内部の柱や、長押なげし敷鴨居しきかもいのような化粧材で、慶長11年の造営にあたり新調したものでした。二つ目は、外壁内に塗り込められる柱、土台、はり、桁、扉などで、その特徴から他の城から転用したと考えられました。三つ目は、部材の角を大きく削った疎垂木まばらたるきなどで、書院風の建物からの転用と考えられました。

このうち、他の城からの転用と考えられる部材には、旧位置を示す番付や符号が印刻されており、これをもとに前身の天守を復元すると、1階の平面が現在の彦根城天守よりやや小さく、高さは5階であったことが判明しました。形の異なる既存の城や書院を転用するという制約の中で、独創的な造形を構想し、実現させた技術力・組織力は驚くべきものがあります。

姫路城天守は、木造の大規模な城郭建築物として評価され世界遺産に登録されましたが、彦根城天守は、それとは異なる意味で人類の創造的な才能を表す傑作といってよいのではないでしょうか。芸術性豊かな美しき名天守はこれからも訪れる人に深い感動を与え続けてくれることでしょう。

(滋賀県文化財保護課 池野保)