近江の城めぐり

第30回 金森城・三宅城守山市

三宅城跡(現在の蓮生寺)に現存する土塁
(守山市三宅町)

信長に抵抗 門徒の拠点

金森かねがもり城は、現在の守山市金森町にあった浄土真宗の道場を中心とした寺内町じないちょうに、東西方向に流れる境川など複数の河川を利用してほりを巡らせた城郭だったと推定されています。かつては竹藪の中に土塁が残されていましたが、現在は宅地化が進んだため、金森集落の南側にある「しろした)」という小字名以外には、残念ながら城跡であることを現地でうかがい知ることは困難な状況です。

本願寺第八世宗主しゅうすである蓮如れんにょは、各地で積極的な布教を行いました。1465(寛正6)年に山門の攻撃で京都大谷本願寺を破却された蓮如は、その後の一時期、金森に滞在して布教活動の拠点にしていました。

それから約100年後、織田信長が近江国に侵攻してくると、湖南地域の真宗門徒たちは大坂本願寺から発せられた反信長の檄文げきぶんに応え、金森城と三宅城を拠点として信長軍に抵抗を試みます。しかしながら、信長陣営は一揆に内通しないことを誓う起請文きしょうもんを周囲の村々に提出させるなどの方法で金森、三宅両城を孤立させ、1572(元亀3)年7月に戦いを最終的に終結させました。

金森城の出城でじろの役目を果たしたと考えられている三宅城は、金森城の約500m西に位置します。三宅集落の南端にある真宗大谷派寺院の蓮生寺の周辺に、高さ1m余りの土塁が残されており、この付近一帯が城跡と推定されています。滋賀県指定有形文化財である蓮生寺本堂は1615(元和元)年に再建されたものですが、戦国時代に合戦の舞台になったと伝えられる境内地は、守山市の史跡に指定されています。

(滋賀県文化財保護課 田井中洋介)